冒険

海外で遭遇率100%!~宗教についての問~

こんにちは、マイムです。
 
Q. あなたはどう思う?
 
海外に出ると事あるごとに求められる私の意見。
 
日本 空気を読んで発言
海外 ありのままの自分の意見を主張
 
自信を持って自己主張ができないのは日本社会不適合者でありながら日本人気質は健在だから。いつも苦しんでいます。それと並んで犬のお巡りさんばりに困ってしまう質問がもう一つ。
 
 
Q. 宗教は何?
 
 
宗教について問われるのは海外あるある。が、それにしても道行く宗教家に声をかけられる率が高い気がしてならない。人生に迷いがありそうな見た目をしているのか、負のオーラを放っているのか、単純に声をかける隙があるのか。どんな理由にせよ複雑。
 

今回は

海外で必ず遭遇する、宗教に関する問いへの返答を一緒に考えましょう!という回。誘ってます。海外へ行く際の持ち物に「宗教に関する見解」を加えておくと「語学」と同じくらい役立ちます。場も持ちます。
 
マイム
マイム
正しくは、宗教に関する見解が外国語で述べられることが求められますね、はい。
それでは、特に宗教にこだわりがない大勢の日本人の皆さん、その答えを探る旅に出ましょう。私の実体験を紹介しながらいきますね。
 
※特定の宗教を厚く信仰している方は旅に出なくて大丈夫です。自信を持って自分の宗教について外国で語ってください。

  日本人の宗教観

日本で生まれ育つと「宗教」という概念について深く考える機会はほぼ皆無。海外に出て初めて、世界的に見て日本人の宗教観はちょっとおかしなことになっているのでは、ということに気づきます。
 
仏教と神道が時と場合により入り乱れる中、時折クリスチャニティーを挟み込む
 
それが日本。子供のお祝いはもっぱら神社。結婚式は教会で挙げ、死者の供養は仏教式。家には神棚と仏壇があり、節分・お盆・お彼岸などの仏教行事を執り行いながら七五三や初詣、お祓いに神社へ。クリスマスはビッグイベントなのにキリストの復活祭であるイースターはガン無視…
 
おいおい。でもそれが日本人の宗教観。おかしい!とか、正すべきだ!とか主張する気はさらさらないです。クリスマス廃止キャンペーンの実施予定もないです。安心してください。
 
マイム
マイム
個人的にクリスマスがあまり好きになれないのは事実ですけど…
そんな日本の実態を外国人に対してどうやって説明しますか?
 
という疑問を国民に投げかけるのが今回の私の目的。国を代表してその役割を勝手に担いました。
先に断っておきますが私は正解を知りません。最後まで読んでもらっても答えを教えてあげることはできないです。答えが知りたいだけの人は早めのUターンをオススメします

  「宗教」の認識

日本人の宗教観はちょっと異様という話をしましたが、「宗教」と聞くとネガティブなイメージを抱くのも日本あるある。宗教という単語から仏教、キリスト教、イスラム教などの既存の宗教を連想せず、いかがわしい新興宗教を連想しがちだからだと思います。詐欺をはたらいたり犯罪に手を染める団体もあるので、宗教=悪みたいな構図がなきにしもあらず。
 
一方で、海外でいうところの「宗教」は日本のそれとは別物。
 
宗教=人生の指針であり、聖典は人生の手引き書
 
どんな宗教を信仰していようがです。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教あたりは教科書にも頻出、実際に信者も多く知名度も高いですが、それ以外の宗教も地球上には無数に存在しています。教派や分派を辿って細分化していったらもうほんと無限。
 
この世には色んな宗教があっていろんな教えがあるんだな~くらいの認識でとりあえずいいと思います。実態は非常に複雑なので理解しようと思ったら相当の努力が必要になるはずです。
 
マイム
マイム
せめて一番身近なキリスト教くらいは理解しておきたいと私も思うので聖書を読む努力、してきましたよ?漏れなく挫折していますが。その回数、一度や二度ではありませんが何か問題でも?
相容れない2つの宗教に思えるキリスト教とイスラム教も「神様は同じ」らしいです。アッラーとゴッドはどちらも同じ唯一絶対の存在である神を指していて、その同じ人物(神は人物じゃないとかそういうのは今は言わない約束。)を別の名前で呼んでいるだけ。聖書とコーランに同じ人物が登場するのも、そもそもどちらもユダヤ教から派生してきたからだというし…
 
専門家ではないのでというのは言い訳ですが、それぞれの宗教について詳しく語れなくてごめんなさい。池上彰さんに聞いてください。
 
私自身、海外に出始めてから「宗教」という分野に興味を持ち、何冊か本を読んだりもしましたが…奥が深すぎて。各国の政治体勢や地球上で現在起こっている問題のすべてが宗教の違いに集約されても過言ではないのではと思えるほど。
 
私の足りない頭では一生クリアに整理されることはないでしょうが、自分の中でポイントだけふわっと抑えたらオールオッケーだと思っています。漢字3文字で表せば「自己満」。
 
・・・ここで大好きな余談を・・・
 
生きづらいよね~ってたびたび弱音と愚痴を共有する友人がいます。共通の話題ゆえ。
 
私たちがこんなに生きづらいのは、世の中が混沌としていて複雑なせいなのではないか。なぜ世の中はそう複雑なのか。何百という国があり無数の民族がいて数限りない宗教があり様々な言語が存在する地球。そんなんだから争いが起こる…
 
何も私たちはこの世から戦争がなくなればいのに、とかいう壮大なトピックを扱っていたわけじゃないです。ただ生きづらいことを外的要因のせいにしたかっただけ。そして
 
→ キリストの詰めが甘かったせい
 
という結論に至りました。厳密に言うとキリストは神の子なので、キリストの詰めではなく神の詰めが甘かったのでしょう。まあ細かいことはどうでもいいんです。
 
最初から何もかもひとつに統一してくれていれば混沌としなくて済んだ。アダムとイブがあの時ヘビに唆されて禁断の果実を食べなければ…
 
などとよくわかってもいない聖書の中の物語を持ち出して責任転嫁することで楽しい時間が過ごせましたというだけの話だから。
 
戻ります。

  宗教に触れる

それでは実際に私が海外で遭遇した宗教絡みのあれこれに触れていきます。
 

  アメリカで

当時同じボランティアプログラムに参加していた南米出身の友人たちはほとんどがカトリック教徒でした。お祈りしたり、十字架にキスしたり、聖書を持参しているのをリアルライフで初めて見ました。
 
当時宗教免疫がゼロだったため印象に残っているに過ぎません。今となってはどれも何てことない光景。
 
マイム
マイム
日本人は仏壇に手を合わせてなむなむ。

  マラウイで

アフリカには土着宗教も数多くありますが、一番多いのはキリスト教徒です。マラウイ人の大半もキリスト教徒で神(ゴッド)を崇拝していました。ノーゴッドノーライフ。彼らにとっては神なしの生活は理解不能なわけで、日本人の私が無宗教だと言うとものすごい勢いで食いついてきてその理由や生き方を尋ね、何を軸に日々を送っているのかを知りたがり、神を信じるべき理由について永遠と語り始める、というのが日常的に繰り返されていました。
 
マイム
マイム
文字通り「永遠」と語るので大変困ってしまうんですが、普通に生活していると時間を持て余すのがマラウイのスローライフ。木の下でチャッティングするのは彼らの共通の趣味です。そのくらい娯楽がないともいう。
そんな問いに私自身は、
 
「多くの日本人は無宗教。しいていうなら仏教徒かな。でも神様の存在も信じてる。私たちにとっての神様とあなたたちが崇拝してるゴッドは違う種類だけどね。」
 
と返していました。正直に答えたつもりです。
 
仏様(ご先祖様)の存在は信じてるし、神様が見てるから悪いことをしてはいけない、神様にお願いする、という感覚は幼い頃から備わっている。
 
何も信じていないと言ったらそれは嘘。ただ日本人にとっての神は唯一絶対の神じゃなくて八百万の神で、何にでも宿っている。仏様も神様も彼らにとってのゴッドとは違うんだけど、ふわっとした概念で説明しづらい。仏教の教えは何?聖典は?じゃあ何に従って生きているの?
 
矢継ぎ早に聞かれ、知識不足と語学力不足が相まっていつも悔しい思いをしていました。
 
出会う人出会う人とそんなやりとりを繰り返した日々。それほどまでに彼らの生活しいては人生に占める宗教の割合は大きく、重要なものだということ。良くも悪くも信仰心が彼らを支えていました。ゴッドの教えに忠実に従って生きていれば報われると信じているから。
 
「マラウイの景気が悪いのはゴッドがそれを望んでいるから。ゴッドの気持ちが変わればそのうち良くなるから心配いらない。」
 
え。最初は笑いました。が、その考え方が全てを物語っていました。
 
貧しい国では自分たちの状況を肯定するために神の存在が必要
 
なんだと。何でもかんでもゴッドのせいにすれば済むため必要な努力をしない状況も見受けられ、それは違うだろ!と思うことも多々ありましたが、自分のせいじゃないから仕方がないと割り切ることで苦しみから逃れるのもひとつの生きる術。そして、
 
いつかゴッドの気が変わって幸福が訪れると信じている
 
それも希望を持つ術なんだと理解しました。
 
マイム
マイム
かく言う私と友人も生きづらさをゴッドのせいにしたので思考回路同じ~。
宗教に関する彼らからの質問は尽きませんでしたが、そんな中でいちばん衝撃を受けた質問がこれ。
 
「聖書に従って生きていないってことは、日本人はいい人と悪い人をどうやって区別するの?どうやって自分に合うパートナーを見つけるの?」
 
質問の意味を冷静に考える必要があったほど、すっと入ってこない問いかけでした。
 
えっと。聖書に従って生きている=まっとうな人間、であって、そうじゃなければ道を外れている人間という認識ね。確かにわかりやすくはある、同じ宗教の信者同士は同じルールブックに従って生きてるもんね。人生のルールが同じならその道を外れない限りお互いわかり合えて、衝突も避けられる。なるほどね。納得。でもその視点はなかった。
 
彼らの理屈で言えば日本はカオス。明確にカテゴライズされていない不特定多数の中から自分に合う人を探し当てなければならないから。
 
マイム
マイム
でも「ちょっとおかしな宗教観」という広めのゾーンの中にいるあなたと私、それはある意味同じ宗教の信者なのでは。ダメ?違う?
それに言ってしまえばグローバル化が進んだこのご時世、国籍が違おうが宗教が違おうが2人の人間が愛し合い結ばれるなんてことは地球上にありふれてるよ?
 
世界的にはその思考はナンセンス!
「人類」でありさえすればパートナーになり得る!
 
とは彼らには言わず。また長くなるし。
 
マラウイという小国、グローバル化していない小さなコミュニティの中での宗教の位置付けが知れたということでマル。
 
「急いでるんだ、明日テストだから教会に行かないと!」
 
と焦るマラウイの学生。
 
 99%の努力と1%の神頼み
 1%の努力と99%の神頼み
 
神頼みは努力をした後にね?ゴッドはいつも見てるよ?
 
 
 
以上が今回のお話。宗教にまつわる実体験【オーストラリア編】を続編で語ります。今思い返しても不思議かつ貴重な体験。次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。
 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です