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マイム史【高校生~大学生】

こんにちは、マイムです。
当初はこれまでの人生をざっくり前半と後半に分けて書くつもりでしたが、なんだかんだで長くなりそうです。第1話で中学生まで辿ったので今回は高校時代から大学時代までを綴ります。
 

高校時代

     幕開け

高校は地元の進学校の理数科でした。普通科ではなく理数科だったのは単純に推薦枠が理数科にしかなかったからです。(普通科に推薦があればそっちがよかった。)進学校だけあって、高1の数学の教科書の第1章は春休みの宿題でした。入学までに勝手にやっとけと。独学でいけるだろって。パワハラですね。たしか分野は因数分解とかそんなのだったと思いますが、到底中学レべルで太刀打ちできるものではありませんでした。そして入学してすぐの実力テストはもちろん第1章がテスト範囲。
 
撃沈。
 
できるわけがない!
 
もう一度言います。
 
独学で、数学ができるわけがない!
 
っていうのが、高校の幕開けでした。中学までは数学で「わからない」を自分に許さなかった私。いつも満点を狙いにいっていたし、ケアレスミスをしないことだけを心掛けていたのに、初めて問題を目の前に「手も足も出ない」を経験し、自己最低点を取ったのがこの数学のテストだったと思います。何点だったかまでは覚えていませんが、ショックを受けるに十分値する点数だったことは確かです。
 
こうして私は各中学のトップ層が集まってきた進学校で、晴れてパンピー(一般ピープル)になりました。中学までは努力で勝ち取れる何かがあった、でも高校はもう、DNAレベルの何かがモノを言うところ。だって、同じ数学の授業を受けて、サッパリわからずポカーンとしている私の横で、サクサク練習問題を解いていく友人たちがいるのだから。なになに、この人たち怖い。私とは細胞レベルで何かが違うんだなと早い段階で悟りました。
 

     高1秋のクライシス

厄介なのはそこから。周囲の人間と自分は何かが違うと悟ったものの、だからもういいや、と「諦める勇気」がまだありませんでした。ここでも「落ちこぼれる勇気」があったなら、私は高校時代を謳歌できたのかもしれないです。現に「世界史2.5点!笑」「また赤点!笑」「呼び出されたから部活遅れる~!笑」っていう友人たちはそれなりに楽しそうでした。でも、落ちこぼれきることができなかった私は、中途半端なポジションをうろうろすることになりました。
 
そして高1の秋、人生初プチ鬱に突入。何もかもが嫌になり、とりあえず部活を辞めたいと顧問に告げました。(止められて後に復活しますが。)登校中自転車を漕ぎながら泣き、授業中も気を抜くと涙が出てきて、夜布団に入れば号泣していました。何が悲しいとか具体的な理由などわかるわけもなく、現状の全てが嫌でした。当時はそれを鬱状態と呼ぶことを知らなかったので、受診もせず。耐えるしかありませんでした。異変にうっすら気づいたのでしょう、母が、
 
「そんなに嫌なら学校やめれば?」
 
と言ってきました。その言い方、絶対本心じゃないやつ。投げやりなやつ。親の言葉がどんな意図で発せられているかは、16年間育ててもらっていればすぐにわかるものです。やめられるわけない、せっかく期待に応えて合格したのに今ここで辞めたらこれまでの努力が水の泡。それに辞めたからといって進みたい道も特にない・・・ぐるぐる
 

     復活

春になり、気候が暖かくなったこと、ちょっとやんちゃなクラスメイトと仲良くなったことがきっかけで突然立ち直りました。立ち直ったのか、ふっきれたのか。ピアスを開けたり髪を染めたりスカートを短くしたりしました。部室で授業をさぼったり、勝手に早退してカラオケに行ったりもしてみたけれど、それが楽しかったという記憶はまったくないです。こういうことをしてることを世間は楽しいと表現するのだろうか、と冷静に考えていました。(真面目か
 
マイム
マイム
ちなみに余談ですが中学時代も高校時代もテニス部でした。言わずと知れた負けず嫌い、勝負事は燃えるタイプです。

     進路選択

そんな感じで成績上位でもないが落ちこぼれでもないという超微妙な位置をキープ。特に将来の夢もなく方向性も定まらないまま高3になり、進路選択の時期を迎えました。その頃、再び親の意向で今度は
 
「資格を取らなければならない」
 
教を信仰させられていた私は、単純に理系で資格が取れる学部を物色しました。
 
医者・・・ムリ
獣医・・・医者じゃん
看護師・・・キャラじゃない
 
消去法。今考えればもっとたくさん選択肢はあったと思います。でも夢のない高校生が、そもそもそんなに職業の選択肢を知っているでしょうか、いや知らない。有名どころを羅列して消去法を決行し、別にさほど興味はなかったけれど、薬剤師/臨床検査技師/レントゲン技師あたりの学部をテキトウに書いて模試など受けていました。そんな折、仲良くしていた友人が「薬学部」を目指していることを知り、私もそれにしよう、と思いました。本当にただそれだけの理由で進路決定!
 

     薬学部を目指す

不純な動機でようやく進路を決定した瞬間、通っていた塾の先生に、
 
「おまえ正気?」
 
と、けっこうな迫力で言われました。え、正気ですけど何か?ですよね。なんですかその質問、って。でも、彼は知っていたんです。私が「全く化学ができない」ことを。
 
 
薬学部とは

ちょっと説明します、薬学部について。まず薬学部は「化学の分野」の学部です。有機化学・無機化学・薬化学・分析化学・物理化学・放射化学…略…。「生物物理化学」に至ってはもう名前から一体なんなのか想像すらできないという。加えて生物学、物理学などの講義ももちろんありますし、数学もあります。ドイツ語、化学英語も必修でした。その他の医療系の学部と同じように人体の仕組みや病気の原因・発症メカニズムなども学びますし、もっと実践的な講義・実習(実験)も山ほどあります。要は「薬」に関わる事柄全般を学ぶという意味で学習分野は幅広いですが、まず「化学」です。

 
そんなこと、もちろん高3の私は知りませんでした。薬の勉強をするだろう学部であることは字面から想像できますが、それが化学の分野だなんて一体どうやって知るんでしょうか。誰かに教えてもらったことありますか?知らないです、ふつう。
 
目指す前に調べるのが普通だって?そんなのわかってます。でも、そもそも選んだ動機も不純だったし。致し方ないよ…
 
というわけで、薬学部を目指すのをやめました!とはなりませんでした。だってまた選び直さなきゃならないじゃないですか、やめたら。そこで私は高3の夏休みに前に、冷やし中華ばりに「化学のガリ勉始めます」を掲げました。もうほんとに夏休みは朝から晩までずっと化学。明けても暮れても化学。その結果、夏休み明けの化学の実力テストで98点を記録。当時の化学の先生が首を傾げながら「どうした?」って聞いてきたのを覚えています。いや、どうしたって。でもまあそうですよね、冴えないやつが突然98点を叩き出したら驚くわ。
 

     大学受験

この化学における夏休みの目覚ましい努力が買われて、県立大学の推薦をもらうことができました。当時の担任の先生が、
 
「一応、努力を買って推薦はするけど、うちの学校から3人推薦するうちの、お前は3番目だからな。期待するな
 
だって。カマタニ先生きーびし。最後のそれ言わなくてよくない?と思いましたけど。推薦といっても化学と英語のテスト、口頭試問なんかがありました。そして、言われた通り期待はしていなかったけれど、無事合格しました。これまた特別クスリが好きだったわけでも、クスリに携わる明るい未来を描いていたわけでもないけれど、資格を取るという目標には近づいたし、親も喜んでるし、これでよかったのかなと他人事のように受け止めました。
 
 

大学時代

     キャンパスライフ

世界でも「日本の大学生は勉強しない」とか「遊んでいる」といわれる昨今ですが。理系の学部はあながちそんなこともないと思います。少なくとも私は、なにこの学部死ぬ、と思いました。その理由は、
 
  • もともと好きじゃない化学をさらに深く果てしなくどこまでも掘り下げてくる
  • 大学生には自由な時間がたくさんあると思ってたのに毎日実習(実験)があって何時に帰れるかわからない
  • 多くの教授は宇宙人。何語なのか、何を言っているのかわからない。なんなら目も合わない
  • 全然何にもわからないのにテストが超ある
  • 常に何かに追われている。実験レポートとか調べものとかテスト勉強とか
  • 医学部と併願して受ける人がたくさんいた学部なので、頭がいい人、要領がいい人がたくさんいる。高校で感じたアレと同じことを感じる
 
という、どちらかといえばつらたんな日々でした。思い描いていたキャンパスライフと違ったし、あ、私この分野嫌い、って入学してすぐに気づきましたが、ここも努力して入った場所。親に学費も払ってもらっている。4年間我慢して資格さえ取れれば…という呪文を唱えて自分を騙しながら在学しました。
 
 
 
突然ですがここで問題です。
 
Q. 大学で持つべきものは何でしょう。
 
 
 
マイム
マイム
顔の広い友人気さくな先輩、に尽きます。過去問、過去レポ、(自分で買うと超高額な)教科書などをどれだけ回してもらえるかがミソ。その節は大変お世話になりました。
 
全体的に大学の話が悪口みたいになってしまった感は否めませんが、それなりに友達と遊んだり、バイトしたり、恋をしたり、大学生らしいこともしました。人生初の一人暮らしも経験して確実に大人の階段を上ったのも事実です。
 

     大学4年の夏休み

いよいよ私の人生がとち狂っていくきっかけ(原因)となった出来事が起こります。
 

     前情報

その頃、高校時代の部活の仲間と夏休みに富士登山を計画していました。が、直前に頓挫しました。でも、どうしても、どうしてもその夏の富士登山を諦めきれなかった私。誰でもいい、知らない人でもいいから一緒に登ってくれ、という思いで当時全盛期だったmixiを開きました。(歳バレる
 

     富士バカ

mixiのイベントページを物色していると、
 
「富士バカ」
 
という文言を見つけた私。見出しからして富士山絡み、これは。詳細を見てみると…
 
「東京から富士山まで無一文で歩く仲間を募集しています」
 
っていうぶっ飛んだ企画でした。一瞬の迷いもなくこれだと思いました。
 
(富士バカが気になる人はググってください。毎年開催されていますし、本も出ています。)
 
静岡県に住んでいる私がわざわざ東京まで出向き、そこから富士山まで歩く(静岡県に戻ってくる)なんて、超頭悪い、ってよく考えればすぐわかるのですが。当時はおもしろそうとしか思わないくらいどうかしてました。でも、頭の悪くない人たち(ほぼ全人類)に事の詳細を話せば真向から反対されるだろうことは辛うじてわかったので、誰にも真実を告げず、ただ一人静かに参加表明をしました。
 
 
つづく
 
 
というところまでが今日のお話です。このイベントがきっかけで私の人生は逸れ始めたといっても過言ではありません。どんなイベントだったの?そこで何があったの?人生にどう影響を与えたの?など諸々のことは、別の機会にお伝えしたいと思います。
 
マイム
マイム
どこからどう見てもただの一般人、マイムの人生前半を一緒に復習してくださってどうもありがとうございました。
 
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