プロフィール

マイム史【会社退職~現在】

こんにちは、マイムです。
きゅうりが丸々一本野菜スティックとして出てきたのでかじったら、「逆」って言われました。きゅうりって食べる方向決まってたんですね、知りませんでした。
 

今回は

最初に勤めた会社を退職してから今現在に至るまで。プロフィール最終話となります。
 

  ピースボート

そうですあれです。居酒屋などによく貼ってある「地球一周の船旅○○万円」のやつ。約3ヶ月間のクルーズ旅行。これも誰かを誘って一緒に行くような金額じゃないし、そんな話に乗ってきそうな友人など周りに見当たらなかったので、富士バカ同様一人静かに参加を決めました。2010年10月出航の第71回北半球クルーズでした。
 

  ピースボートがくれたもの

色んな種類の人間との出会い
 
再び。ピースボートには変な人がたくさん乗っています。オススメです。変という言い方は失礼ですね。個性豊かで人生経験が豊富でネタに富んだ人たちです。3ヶ月間同じ船の上にいれば、そんな変な(また言った)人たちの話を聞く機会がたくさんあるわけで。感化されずには降りられないのがこの船の醍醐味。この地球一周クルーズを経て私はますます元(=日本社会)に戻れない人間になっていきました。
 
下船後。旅行中の非日常感と戻ってきた日常とのギャップで廃人期突入。とりあえず次のことを考える前に何か…とググって見つけたのがアジア最貧国を訪ねるバングラデシュスタディツアーでした。現地で活躍する日本人の視察。もうこの一週間は濃すぎて。今ここでは語れません。そして半年後にラオススタディツアーにも参加。バングラデシュが濃すぎてラオスはちょっぴり物足りず。いい国なんですよ、ラオスは。ただ刺激が…
 
 
マイム
マイム
いつからか渡航先に刺激を求めるようになってしまいました。「予想外のこと」が起こらないと物足りなくてそわそわします。
 

  アフリカボランティアプログラム

次なる興味の対象はアフリカしかありませんでした。
 
ちょっとピースボートの話に戻ります。ピースボートには東回り/西回り、南半球クルーズ/北半球クルーズがあります。要はどっち方向に向かって進みどこを通るかっていう航路の話です。私が乗った第71回は西回りの北半球クルーズでした。タイミング的にそのクルーズを選びましたが、アフリカに行ってみたいという思いは実は兼ねてからあり、できれば南半球クルーズに乗りたかったのが本音です。厳密にいえば第71回クルーズもアフリカ大陸の数ヵ国には寄港したのですが、北部のアラブの国(エジプトとチュニジア)のみでした。

どうしてもアフリカの黒人文化に触れてみたいという強い思いに駆られて、アフリカに狙いを定めてチャンスを探しました。そこで目に留まったのが、アメリカのNPO団体主催のアフリカボランティアプログラムでした。
 

  アメリカのNPO団体を選んだ理由

 
  1. アフリカに行きたい
  2. 英語を習得したい
 
シンプル。そのプログラムは6ヶ月間アメリカ・6ヶ月間アフリカ・6ヶ月間アメリカの計18ヶ月。アメリカで英語も勉強できるしアフリカにも行ける、パーフェクト。こうして私は2012年の8月にアメリカへ渡り、その半年後にマラウイ(アフリカ大陸の南部にある国)へ、さらに半年後アメリカに戻って最後の半年を過ごしました。
 

  アフリカボランティアプログラムがくれたもの

これに関しては「くれたもの」より「培ったもの」という表現が適切でしょう。
 
忍耐力
適応力
柔軟性
協調性
語学力
 
精神的にかなり鍛えられました。英語もまあ何とかなるくらいのレベルになりました。それからもちろん
 
多国籍の友人
 
ができました。プログラムが終わって距離が離れてしまうと疎遠になってしまうのはある程度仕方がないことです。それでも共に過ごした思い出を共有している事実はこの先も変わりません。
 

  日本語教師

ここまできたらもう立派な社会不適合者。会社員になるとか、この先何十年も同じ場所に勤めるとか、そういうことはもうできなさそうなのは感覚として自分が一番わかっていました。
 
日本にいられないのなら世界で通用する何かがないと厳しい
 
日本で生きていくのなら自力で稼ぐ手段を確立したい
 
と考え始め、選択肢がいくつかあった中から「日本語教師」を目指すことに決めました。
 

  日本語教師養成講座

オーストラリアのシドニーに飛び、420時間の日本語教師養成講座を受講しました。日本でも受講できますが、日本にいながら週1回の通学で1年かけて資格を取るか短期集中3ヶ月か。性格的に絶対後者です。
 
3ヶ月間みっちり日本語と向き合いました。宿題の量が尋常じゃなかったため苦しみましたが、薬剤師国家試験の受験勉強に比べれば何のその。国家試験の勉強は「わからないことをわからないままインプットする」でした。暗号を暗記するように。全く楽しくない。でも日本語教師の勉強は理解できる日本語だったし、それまで気に留めたこともなかった日本語のルールについて知るのは知的好奇心が満たされて純粋に楽しかったです。
 
 
マイム
マイム
大人になって理系から文系に文転したのは言うまでもありません。
 

  JICAボランティア

3ヶ月間で受講終了。取った資格を使ってキャリアを築くための舞台、次なる狙いは南米大陸。JICAの一事業である日系社会青年ボランティアに応募しました。
 
JICA : 独立行政法人国際協力機構

JICAボランティア事業で知名度が高いのは青年海外協力隊だと思います。日系社会青年ボランティア(現在は名称が変更され日系社会青年海外協力隊)は、主に中南米の日系社会に派遣され現地で2年間活動を行います。

私が応募したのは「日系日本語学校教師」という職種(現在は名称が日本語教育になっています)。海外からの応募もありですが、ネックは健康診断。当時いたシドニーで750豪ドルほど(当時のレートで7万くらい?)払って健康診断を受けました。高すぎ。絶対に落ちられない戦いでした。
 
 
【余談】

合格発表を待つ間オーストラリアを満喫しようと思い、ワーホリ(ワーキングホリデー)の若者がよくやるファームジョブというものをやってみました。トマトファームで朝5時からトマトと格闘。もう一生トマトファームでは働きたくないです。それから友人に誘われてヒッチハイクも経験してみました。シドニーからゴールドコーストまで片道900㎞弱。サービスエリアで凍死しそうになりながら一夜を明かした思い出やそこでテントを張っていた別のヒッチハイカーとの出会いなど、なかなかレアな経験をしました。それから雄大な自然で有名なタスマニアへ。タスマニアの島を周遊中にJICAボランティア一次試験合格の通知を受け、二次試験に備えるため日本へ帰国しました。

一次試験の書類選考、二次試験の面接を経て、晴れて合格を勝ち取り、狙い通り南米ブラジル行きの切符を手にしました。
 
合格後、2016年3月に日本語教師としてのJICA 研修を受け、10-11月に派遣前の語学訓練(ポルトガル語)を受けて、2017年1月にブラジル入り。2019年1月まで現地で活動して帰国しました。
 

  現在

1月に帰国してから4ヶ月経った今は地元の農家さんの農業を手伝いながら人生のギャップイヤーを過ごしています。現在までの人生の復習を一通り終えようやく「なう」にたどり着きましたが、今後どうなるのかは誰も知りません。(遠い目
 
 
以上でプロフィールを終え、今後は世界各地であったあんなことやこんなこと、日常の思考のあれこれなどをランダムに取り上げてああだこうだと語っていこうと思います。
 
マイム
マイム
長い長いプロフィールを最後まで読んでいただきありがとうございました。

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