プロフィール

マイム史【大学生~会社員時代】

こんにちは、マイムです。
人生が意外と長い件。あと2話続きます。
 
【余談】タイトル画像のカバ

人生の前半を上半身、後半を下半身で表現するというアイデア。アイデア賞。(誰も言ってくれないから自分で言う

カバに意味はないですが私がアフリカのマラウイにいた時に自分自身で撮影したものです。「手元にちょうどいいカバがあった」というだけの理由で採用されました。

今回は

大学4年から会社退職までを。詳細には触れず要点だけつまんで流していきます。
 
マイム
マイム
“流すスキル”は大学で習得しました。いちいち引っかかってはいられない。永遠に前に進めない事態に陥るのを避けるにはつっこまない、掘り下げないが鉄則。ただし流しすぎて要点すらつまめてなかったっていうオチが待ち構えているのでマネする場合は注意してネ。

  富士バカ

東京から富士山まで無一文で歩こう
 
という趣旨のイベントです。距離にして100㎞強の遠足+夜通し登山および下山。期間は一週間。無一文。2007年の第2回富士バカに参加しました。
 

  富士バカがくれたもの

同年代の色んな種類の人間との出会い
 
その頃の私は周りに自分と同じような種類の人間しかいない世界で生きていました。学力や能力の差こそあれど、高校から大学へ進学し、就活を経てどこかの会社に就職して生計を立てて生きていくであろう人間、というカテゴリーです。それがふつうの人生で、当然自分も歩む道だと思っていました。疑問を持つことさえなく。そして富士バカで自分とは異世界に住む人たちに出会ったのです。
 
  • 会社を作ろうとしている人
  • カフェバーを開く予定の人
  • コーチングとかメンターとかいう謎の分野に長けている人
  • バイトと音楽で生きている人
  • 高卒で社会に出て活躍している人
など。世の中には私の知らない生き方を選んでいる同年代がいる。色んな道があるんだという衝撃。夢や自分の本当にしたいことを妥協せずに選ぶ生き方は私にとって新鮮で、そんなことしていいの?という疑問と、どうやってやるの?という興味で思考回路はショート寸前に。(死語
 
誰しもがどこかで聞いたことがあると思います。
 
「夢で飯は食えない」
「好きなことを仕事にしている人はお金がない」
 
などという大人の辛辣な言葉を。否定はしません、誰もが夢で飯を食えるわけじゃないのは明白だから。それに大人は子供に対して「飯が食える術を持って将来困らずに生きてほしい」っていう願いがあるからこそ、それを言うのだから。それでも「(夢で飯は食えないから)夢を追うのはやめなさい」と(はっきりは口にしないまでも)真っ当な道(?)に強引に子供を導こうとするのはわりとありふれた話で、正直ちょっと悲しいです。
 

  究極の質問

「で、マイムは今の自分に満足してるの?本当は何がしたいの?」
 

東京から富士山までの道中、百万回聞かれました。(盛りました。でもそのくらいの勢いで繰り返し聞かれたんです。)即答できませんでした。自分自身そのままでいいとは思ってなかったはず。だって薬学部に通いながら、化学全く好きじゃなかったし薬にも興味なかったし。でも漠然と、好きじゃないけどもうこの道を進んで来ちゃった以上後戻りはできない。このまま就職してその道で生きていくしかない、と自分の人生を半ば諦め他人事のようにイメージしていた節はありました。要は自分の人生にきちんと向き合っていなかったというだけの話ですが。

「で、本当にしたいことは何?」
 
百万回聞かれて考えた末に、「本当は海外に出てみたい」と答えました。「旅行じゃなく、観光じゃない海外経験がほしい。でも留学できる学部じゃないし、お金もないし、親にも反対されるだろうから無理だけど」と「無理」の部分を殊更強調して。
 
ここで二点指摘されたこと。
 

① 考えた末に → 「考えるな、感じろ」

「おいしい」「楽しい」「嬉しい」などは、考えることなく感じています。その感覚で自分の望むもの、「~したい」を感じろと言われました。新しい。そしてなんと難しい。この時から「考える」という思考の部分と「感じる」という感情の部分を意識するようになった気がします。悩みというのはこの両者の不一致で苦しんでいる状態な気がしてなりません。
 
 

②「無理だけど」 → 「できない理由を考えるな、できる方法を考えろ」

すげえ。「無理」の部分を赤ペンでぐるぐるしていた私。当時の私は「できない理由」しか考えることができませんでした。
 
 
【余談その2】海外に対する興味

中学生の頃にはあったようです、無意識でしたが。中1の夏休み、まだ英語で自己紹介しかできないレベルで、親にお願いしてカナダにホームステイをさせてもらいました。(けっこうなお金がかかったはずですがホームシックになった記憶しかなくて非常に申し訳ないです。)今思えば純粋に海外という未知の世界に惹かれていたんだと思います。高校時代、休学して一年間留学し、ひとつ下の学年に戻ってくる先輩を何人か見て、羨望の眼差しを送っていたのも覚えています。

 
こうして賞味一週間にわたる遠足と富士登山を経て、これまで自分の心の声を無視してきたのかな、人生本当にこのままでいいのかな、という疑問と違和感でもやもやが止まらなくなったのでした。
 

  富士バカを終えて

夏休みを終え大学に戻った私はさながら廃人に。自分が今いる場所は自分が本当にいたい場所じゃないということに気づき、卒論、卒業試験、国家試験を控えた現状が受け入れられませんでした。でも残すところ半年。ここまで来て諦める?と自身に問うまでもなく、「やるしかないですよ」という囁きがこれまた心の奥から聞こえてきました。「諦める勇気」がまだなかったからです。
 
そこから地獄の半年(人生何度目かのガリ勉期間)を過ごし、晴れて大学を卒業しました。国家試験にも(ギリギリだけど)合格したし、就職先も(なんか勝手に)決まったし、嫌なことやっと全部終わった\(^0^)/ってもうほんとこんな顔してました間違いなく。
 

  就職

嫌なこと全部終わったけど、お金がないからとりあえずお金を稼ごうというのが私の短絡的な思考でした。短絡的だけど間違ってないやつ。でも、いつかはまだ決めてないけどいつか辞めると最初から思ってました。ごめんなさい、会社。(勤めている期間は真面目に働いたつもりです。)
 
一時期は東京で就職したいと騒いだこともありましたが、結局実家に戻る道を選びました。お金を貯めるにはやっぱり実家が一番。実家神!そしてあんなに出たかった東京も今となっては大事な用がない限り近づかない場所に。若気の至りの無敵さを思い知っています。
 

  退職

就職から2年半後、色々重なって退職を決意。辞めるタイミングが勝手に向こうからやってきた感じでした。「今だ」と思ったのでピースボート(地球一周の船旅)の資料請求をして、上司に見せながら言いました。
 
「これに行くので退職します」
 
「お、おう。景気いいな」
 
ショック療法。相手に衝撃を与え言葉を失わせるという荒業(断じて意図的ではありません。)で、引き止められることもなく円満退社。(だと勝手に思っている
 
 
 
という退職までのお話でした。退職後ほどなくしてピースボートに乗ります。
 
マイム
マイム
今回もお付き合いどうもありがとうございました。
 
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